この空は 君へと続いてる
声
声
車の振動とエンジン音が、耳元で唸る風と連動するように身体を覆う。
流れ去っていく景色は最後の輝きをみせる太陽によって赤く染まり、ぼんやりと視界を過ぎる。
アスランはオープンカーの窓枠に肘をつき、手のひらでこめかみを支えるようにして後部座席に沈んでいた。
いかにも間に合わせという安っぽいシャツが、風に煽らればさばさと鳴る。
耳をうつ何もかもが煩わしく、振り切るように目を閉じた。
視覚からの情報が途絶え、皮膚に触れる空気の冷ややかな感触が鋭さを増す。
「案外簡単にいきそうじゃん。セキュリティはずいぶんとお粗末な代物使ってくれてたし。」
メーターが限界まで振れそうなほどアクセルを踏み込んだディアッカが笑う。
イザークはそれを横目でちらりと見やり、嘲笑するように顎を持ち上げる。
「所詮はナチュラル共が足りない脳みそでつくったおもちゃだろう。ザフトに楯突こうなどという考えがそもそも愚かしいんだよ。」
ふいにどこかで聞いたことのある曲が流れ始めた。
ディアッカか、あるいは機嫌の良いイザークがラジオのボリュームを上げたのだろう。
その軽快な曲に導かれるように、まぶたが持ちあがる。
橙色の景色に焦点が定まらず、何度か目をこすって瞬きをした。
はっと身を乗り出す。
正面から何かがものすごい速度で突っ込んでくる。
「なんだ?」
ディアッカが不審気にアクセルから足を離すが、にやりと笑ってすぐにまたスピードを上げていく。
眼鏡をかけてこなかったことを後悔していたアスランも、ようやく気がついた。
影だ。
いくつもの巨大な影が車と激突するかのように次々と行き過ぎる。
見上げると、周囲に浮かぶ雲を蹴散らしながら飛び去っていく戦闘用のモビルアーマー。
やはりこちらの潜入が伝わったかと一瞬緊張するが、機体の進路を確認してすぐに胸をなでおろした。
モビルアーマーは、すでに遥か後方へと遠ざかった地球軍の基地へ吸い込まれていく。
キラがいる場所へ。
あいつは、報告しなかったのだろうか。
「隊長、気分でも悪いのですか?」
恐る恐るといった体の声音に、しまったとあわてて隣を見る。
微かな陽の光にも反射する繊細そうな髪を舞わせながら、ニコルが不安げな瞳でこちらを覗き込んでいた。
「いや、すまない。大丈夫だよ。ちょっと考え事をね。」
「なんだアスラン、もしかしてびびってんのか?」
ディアッカがにやにやしながら振り返ったので、顔をしかめてみせる。
「危ないから前をみろ。」
「俺の運転技術をなめんなよ。」
苦笑しながらため息をつくと、ニコルが密やかにくすくすと笑った。
つられて微笑むと、ふとこちらに視線をよこした彼のかたちの良い目がふんわりと細まる。
その幼い目元は、軍人としての残酷な強さや戦うための冷たさに侵されていない。
そうさせてはいけない。
しっかりしろと、言い聞かせる。
仮にもザラ隊と命名されたこの編成。
まぎれもない敵地に乗り込み危険に晒されているいま、隊についての全責任を負っているのは自分なのだ。
ニコルには、不安や動揺を悟らせてはいけない。
かつてアスランがそうだったように、ニコルもまた、初めての大役に見た目からは伺いしれない負荷を抱えているはずだった。
守ってやらなければいけない。
せめて、ニコルだけは。
「どうせお前のことだから、さっきの地球軍のやつに同情でもしたんだろう。」
イザークの侮蔑を含んだ台詞に、身体がこわばる。
さっきの、地球軍のやつ。
アスランをみつけて言葉を失った、地球軍の。
「明日私たちが攻撃すればあっというまに死ぬんだ。安っぽい感情は捨てろ。」
返答しないことを肯定と受け取ったのか、イザークは満足げに口ずさむ。
ラジオから流れ出る音楽にあわせて。
歌うと途端に幼くなる声音に、場違いにも思わず微笑みそうになった。
気づかれると面倒なのでそっぽを向き、再び移ろう景色に身をまかせる。
キラだった。
殺風景な地球軍の基地を、トリィ、と声を出しながら駆けていた。
その痩身に吸い寄せられるようにフェンスをつかんだ。
すでに自分の腕にとまっていた、見慣れた小機械の意味を悟った。
キラの瞳ははじめ、車に乗り込んでいたイザークたちに不審気な色をもって注がれた。
それから、ゆっくり、こちらに。
フェンスのむこうで、凍ったように立ち尽くす。
その体つきや、髪の色や、出だしがかすれる声。
もっと近くで感じたくてわざと話しかけた。
この鳥、君の?
・・・うん。
・・・そう。
これ、
・・・うん?
トリィって、いうんだ。
・・・そう。
僕の、いちばん大切なひとが、つくってくれたんだ。
・・・そうか。
ありがとう。
え?
ありがとう。
振り切るように背を向けた。
イザークやディアッカやニコルのもとへ、向かおうとする自分をキラはずっと見つめていた。
さび付いたフェンスの向こうで消え行く陽の光を反射するキラの瞳は、あのころと変わらずにきれいだった。
何の迷いもなく自分を映していた、あのころのまま。
アクセルを限界まで踏み込んだ車は、アスランの迷いを見透かしたように基地からどんどん遠ざかる。
「すごい、陽が沈みます。」
はしゃいだ声に顔を上げると、ニコルが立ち上がって地平線を指差していた。
身を乗り出して彼の腰を支え、示す方向を見る。
ありがとうございます、という呟きと、肩に手が乗せられたのは同時だった。
触れる、という形容のほうが正しいような、遠慮がちに置かれた手のひら。
見上げると、柔らかく細まったニコルの瞳と交わる。
ありがとう、といった、あいつの声。
トリィを渡すほんの一瞬触れ合った、冷たい指先。
ニコルの目元に、あいつの優しさを重ねている。
守れなかったものが、ここにある。
「隊長、明日、頑張りますから。」
にっこり笑った顔に、いつかのあいつがだぶる。
トリィをプレゼントしたときの眼差し。華奢な手。ありがとう、と呟いた、その声。
陽が沈む。
顔が、見えない。
「・・・ら、」
頬に触れようと手を伸ばす。
アスラン、と、名前を。
もういちど、名前を。
「隊長?」
アスラン、と、もう一度。
「・・・なんでもないよ。」
キラじゃない。
キラじゃない。
どうして。
「なんでもないよ、ニコル。」
どうしてキラじゃないんだろう。
行き場のない指先を、強引にニコルの頭に乗せた。
くしゃくしゃと撫でると、気持ちよさそうに目をつむる。
太陽の暖かさを閉じ込めたニコルの髪。
アスランも再びまぶたを閉じた。
一瞬触れた温度。
忘れたくなかった。
指先に伝う感覚が、偽りの温もりに変わっても。
自分は、どうして、キラのそばにいないんだろう。
2008/01/12
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