互いの羽根の痛み 感じている
希望
希望
本来なら不自然なまでに白いはずの壁が、夕日をあびてオレンジ色に染まっている。
管制塔と上層部の応接室しかない第13館の廊下には、飛び立つ戦艦のエンジン音が時折聞こえてくるだけだ。
静か過ぎて耳鳴りがしそうだ。
窓辺に背中を預けまだらに染まった壁を見つめていたイザークは、首をひねって表に広がる飛行場を見やった。
あいつが搭乗する艦は、まだ姿を現していない。
確かめて少し微笑み、すぐに唇をかみ締める。
なぜ私がそんなことでいちいち嬉しがらなければいけない。
勢いよく向き直ると、銀髪が窓ガラスにあたりぱしりと音が響いた。
くしゃりと前髪をかきあげ、すぐにさらりと零れて頬にあたる根性のないそれに苛立つ。
彼の黒髪がよぎり、打ち消すように頭をふる。
ぱしり、と、音が響く。
あのとき。
イザークは手のひらを見つめた。
馬鹿馬鹿しいほどまっすぐな、正義感を隠すことなく真っ向から射るような瞳を、失いたくない、と思った。
彼を乗せた輸送機が落ちたと聞いたとき、もう駄目だと思った。
死んでいく仲間は数え切れない。
腕のなかで見送ったことも、戦場で見捨てたことも、もはや記憶できぬほどに経験してきた。
彼もそのなかの一人になっただけのことだ。
これが戦争の日常であり、いちいち感傷的になどなっていられない。
言い聞かせ、戦った。
ミゲルが消え、彼が消えたクルーゼ隊で。
孤独だとは思わない。
デュエルのなかには味方などいない。
敵と相対するときにはいつだってたったひとりだ。
一瞬後には自分が、見送られ、あるいは見捨てられる立場に成り得る。
そういう場所を、自分は選んだ。
勝利以外、望まない。
望まないはずだった。
無線からの電波を捉え、救出に向かう高速戦闘艦の中でずっと、胸のうちで繰り返していた。
なぜ生きていた。
なぜ生きていた。
もうすでに自分のなかで諦めがついていたのに。
死ぬ人間など掃いて捨てるほどいる。
毎日誰かがこの世から失われる。
悲しむという感情などとうの昔に忘れた。
それなのに、いったん諦めたものが再び戻ってくるなど。
期待してしまう。
自分を置いていかない何かがあるのではないかと。
レーダー上で点滅する赤色に、どんどん近づいていく。
行きたくない。
無理矢理捨て去った希望に、再びしがみつくなどというみっともない真似はしたくない。
失われたものは失われたものとして、この胸から消え去りもう二度と戻らない。
その刷り込まれたルールを、崩される。
自分が必死に作り上げてきた定義を、もうすぐ、壊す人間が現れる。
そのことの恐怖が、イザークの身体中を満たしていた。
壊されて、その後残るものに対しての、恐怖。
期待を覚えてしまったら、きっともう戦えない。
感情を押し殺せなくなった自分に、いったいどれだけの存在価値があるというのだ。
戦い、そのことに喜びを見出し、虐殺をなんとも思わないイザークジュール。
そういう人間を、まわりは求めているのに。
「なぜ生きていた!おまえはザフトの恥だ!」
海水で頬をぬらし、無表情で機に乗り込んだ彼に向かって、イザークは感情をほとばしらせた。
そうしなければどうにかなってしまいそうだった。
せりあがってくる何かが、身体をつきやぶってしまいそうだった。
だから叫んだ。
なぜ生きていた。
見慣れた白い顔が、ゆっくりと自分を見る。
いつもイザークを苛立たせる、まっすぐで芯の強そうな瞳。
思わず眼を見開き黙り込んだ。
視線をそらせない。
いま、この瞬間、命のある彼がここにいる。
ぐ、と奥歯をかみ締めた。
瞳が痛い。
彼は静かに笑った。
「ただいま、と、言わせてほしいな。」
崩される。
壊される。
崩してくれた。
壊してくれた。
窓ガラスが揺れるほどの爆音がとどろき、イザークは思わず振り向いた。
旅客型の高速艦がゆっくりと動いている。
もうすぐか。
橙色は、じわじわとあたりを侵食しはじめた夜の気配に飲み込まれようとしている。
そろそろこの廊下にも明かりが灯るだろう。
どうかこのまま、せめてあの旅客機が飛び立つまで、闇で覆っていて欲しい。
かつん、と、靴のなる音がした。
静かにこちらに近づいてくる。
イザークはあわてて腕をくんで窓ガラスにもたれかかると、眉間にしわを寄せ眼をつぶった。
ミゲルも、ニコルも、ディアッカも、いなくなった。
彼ももうすぐ、自分のもとを離れる。
それでも。
小さく笑う。
それでも、彼からもらったものは、失われない。
しっかりとこの胸に根付き、なにがあろうと失われない。
なんと声をかけてやろうか。
手のひとつでも、差し出してやろうか。
靴音が、すぐそこで止まった。
どうかこのまま、せめて彼がこの場を立ち去るまで、闇で覆っていて欲しい。
表情を、感情を、読み取られぬように。
2007/8/20
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