今の君に映る宇宙は、どんな色なの?
決心
決心
柔らかな光りが満ちている温室で、小さなティーカップに口をつける。
クライン家の敷地の一番端に位置するこの場所は、今まで訪れた土地の中でも秀でて美しい景観を保っている。
豊かに生い茂った木々と、点在する赤や白の花。
それらの隙間からちらちらと反射する、湖の水面。
アスランはつかの間訪れたこの平穏な時間を、ほんの少しだけ持て余していた。
こうしている間にも、頭上では激しい戦いが繰り広げられている。
いまこの瞬間、きっと、命を落とした人間がいる。
ため息をつき、カップの中身には口をつけずにソーサーの上に戻す。
この動作をもう、何回繰り返しただろう。
前線を離れている間は仕事のことは忘れたほうがいい、と、クルーゼ隊長は言った。
もっともだ。
アスランは自嘲気味に唇を歪ませると、すっかり冷めた紅茶を一息に飲み干した。
もっともだ。
わかっているのに実行できないのは、自分が未熟だからだろうか。
失いたくないものばかりが零れていく。
刻一刻と、大切ななにかをなくしている。
「浮かない顔をしていらっしゃいますわ。」
静寂を楽しむようにゆったりと座っていたラクスが、微笑みながら首をかしげた。
「お仕事のことを考えていらっしゃるのですね」
問い掛けだったが、黙って目を落とす。
空のカップのなかに、降り注ぐ陽が満ちていく。
ラクスは返事を待たずに綺麗な所作で立ち上がり、ポットから紅茶を注ぎ足してくれた。
そのまま座らずに、庭のそばまで近寄っていき佇む。
ガラスに映った彼女の表情は、穏やかでやさしい。
なにもかも打ち明けてしまいたくなる。
なにを話しても、柔らかく受け止めてくれそうな気がする。
それは、甘え以外のなにものでもない。
婚約者という権限を振りかざし、その気もないのに彼女の家へ通い、さらには己の苦しみを理解してほしいと望んでいる。
この甘えを、あの人は喜ぶだろうな。
父のことを思うときいつも、無意識のうちにそうするように、アスランは襟元をぎゅっと握った。
軍服であれば、赤の勲章がついている場所。
この甘えを父は喜ぶだろう。
自身で思考し解決することを禁じ、父の決めた道、父が決めた人間関係、それらに忠実に添うことを強要してきた父ならば。
「アスランさま、あなたはいったい何を相手に戦っているのですか。」
ガラスに移ったラクスの顔は、相変わらず穏やかに庭へ向いている。
ニ体のハロが茂みの中からびょんびょんと飛び出し、ラクスに抱き留めてもらおうと跳ねて次々にガラスにぶつかった。
「あらあらー、ぴんくちゃんもおれんじちゃんも、気をつけなければダメですよー。」
おまえもな、おまえもな、と連呼しながら、ハロはまた庭のむこうへ姿を消した。
少しおてんばに作りすぎたかな。
苦笑すると、つられてラクスもくすくすと笑った。
いつもの二人だ。
肩の力がすっと抜け、意識せぬままに口が開く。
「…わからない、のかもしれません。」
ラクスが首だけひねってこちらを見る。
優しげに細められた眼が、続きを、と言っている。
なにかを含んでいるときのラクスの瞳はほんとうにきれいだ、と、場違いに見とれる。
「わからないんです。自分は何をするべきなのか。あいつが、」
ほとんど衝動によって滑りでた言葉を、発してから納得する。
「あいつが、何を相手に戦っているのかも、わからない。」
わからない。
不安の正体は、これなのだ。
あいつの考えていることがわからない。
あいつの考えていることを理解できない。
そんなこと今まで、一度だってなかった。
何に喜んで、何に対して怒るか。
どんなものに感動して、どんな行為に涙するのか。
自分はそれを、知っていたはずだ。
考えるまでもなく、あいつの瞳を見れば一瞬で。
「あなたは考えるべき時を迎えているのですわ。」
ラクスを見る。
ラクスが自分を見る。
まっすぐな視線が、お互いの距離を埋めるようにつながる。
「お考えください、アスラン様。あなたはいったい何と戦っているのか。何と戦わなければいけないのか。」
「なにと・・・たたかわなければいけない、のか・・・。」
ラクスはこくんと頷き、すっと視線をはずした。
「わたくしも、考えますわ。もっとも、」
向き直り、ガラスに手を添えながら呟く。
「もっとも、答えは、もう見えているのですが。」
「・・・ラクス?」
彼女は問いかけに反応することなく、真剣なまなざしで表を見つめている。
アスランもそれ以上は話しかけず、黙って席を立ち、彼女の側に立った。
肩下にあるラクスの鮮やかな髪が、陽光を受けてきらめいている。
答えを。
自分にはわからない。
答えを教えて欲しい。
彼女の見つめる先に何があるのか、自分は何を相手に、誰と戦えば良いのか。
「あなたも、もう、わかっているはずですわ。」
アスラン、と呼ぶ声を、聞いたような気がして振り向いた。
光があふれて白く霞んだ温室が、静止画像のようにそこにある。
何と戦うのか。
わかっていること。
それはたったひとつだけ。
小さすぎて消えうせてしまいそうな頼りない真実は、それでも、確かにこの胸にある。
ならば、そこに向かって突き進んでいくのも、答えではないのか。
間違いでもいい。
正しい答えではなくても、たどりつきたい。
何と戦うのか。
向き直り、ラクスの見つめる先に眼をこらす。
葉の隙間から小さく見え隠れする水面が、きらきらと点滅している。
進む道はきっと、すぐそばにある。
2007/8/13
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