どうして僕は迷いながら 逃げ出すこと 出来ないのだろう
居場所




居場所




手すりにもたれ、ガラスのむこうにそびえ立つジャスティスを見る。
身体中に整備士をはりつかせて点検を受けている様は、プラントにいたときと何ら変わらない。
アスランは見覚えのある光景に戸惑いを覚え、視線を落とした。
ザフトではない自分。
それはもっと、大変なことだと思っていた。
ザフトを離れることは元より、ナチュラルたちと意思を共にすること、キラと昔のように会話をすること。
それらを現実に自分が行えるとは思ってもみなかった。
何度も、夢にみたことはあったけれど。
「アスラン!こんなところにいたんだ。」
手すりの終わりにある扉から、キラが顔を出した。
細い通路を軽やかに駆けてくる。
「部屋に行ったらいなかったから。なにしてるの?」
隣に並ぶと、同じように手すりに身体をあずけてこちらを見る。
髪が濡れている。
アークを援護しながらしつこくむかいくる地球軍と激しい攻防を繰り広げていたパイロットとはとても思えない。
嘆息しながら、髪に触れる。
「ちゃんと乾かせっていつも言ってるだろ。」
言って、はっとする。
いつも。
その一言がすんなりと口をついて出たことに。
しかしキラは頓着せず、苦笑した。
「アスランはほんとうに口うるさいよねぇ。」
「・・・風邪ひくだろ。」
肩にはおっていたバスタオルを、キラの頭にのせてごしごしと強引にこすった。
髪を乾かせとやかましく言っていたあの頃と、同じ線上にいる。
途中で途切れることなく、別の道にわかれることなく、なんの隔たりもなかったように。
その自然さに、安堵する。
いつも、と言える記憶を、キラと自分は共有している。
いつも、と言えるくらい、ふたりの間に変わらない密度がある。
それなのに。
指先に力が入る。
このもやもやと晴れぬ霧のように胸を覆っている不安は何なのだろう。
変わらないキラがいる。
変わらない自分がいる。
それで十分ではないのか。
「ちょっと、アスラン、痛いってば。」
ぱしりと手の甲をたたかれ、我に返る。
「そんなにこすらないでよ。っていうかアスランこそ。」
キラは眉間にしわをよせながらバスタオルを奪い取り、アスラン首のうしろに手を入れてぐいっと引き寄せた。
ふわりと、香る。
少しかがみながらキラの胸に額を預け、この匂いはなんだったろう、と記憶をたどる。
いつか、遠い昔の、懐かしい匂い。
「ねぇ。」
キラは後頭部をがしがしとこすりながら、微笑を含んだ声音で言った。
「んー。」
髪を触られる気持ちよさと懐かしい匂いに身をまかせていたアスランは、ぼんやりと答える。
あぁ、これは、キラの家の匂いだ。
オーヴにあるキラの家。
「・・・ねぇ。」
「だからなんだって。」
くすくす笑いながらなおも答えると、キラはふと手を止めた。
見上げると、キラの漆黒の瞳と一瞬交わる。
「ねぇ。」
首をあげ、向き合う。
キラが、なにかを言いかけ躊躇しているのがわかったから。
彼は名残惜しそうにアスランの前髪を撫であげた。
きゅ、と靴を鳴らし三歩ほど後退すると、立ち止まる。
細い通路にぽつんと佇むキラの細い身体。
いますぐにこの隙間をうめて抱きすくめたい衝動にかられ、しかし辛抱強く待つ。
キラはうつむき、もてあますようにしていたバスタオルに気づくと、思い切ったように顔をあげた。
それからピッチャーのように綺麗な動作で、それをこちらに放ってよこす。
白いバスタオルの隙間から見え隠れする、キラの顔。
「戻ろうか。」
バスタオルは伸ばしたアスランの手をかすってふわりと床に落ちた。
キラは口角をほんのすこし持ち上げ、やわらかく微笑んでいる。
未だ乾かぬ濡れた髪が、変化する角度に色を変える。

「戻ろうか、アークに。」

試されている、と思った。
試されている。
キラの力強さをたたえた瞳が、静かにこちらを見つめる。

アスランが戻る場所はどこ?

俺が戻る場所はどこだ?

帰還するのはいつだってザフトの基地だった。
敵を討ったあとでも、任務を遂行できなかったときでも、キラと再会したあとでも。
なにがあってもそれは揺らぐことのない真実で、それを疑うなど一度だってなかった。
なぜならそれは、プラントにおいてきた自分の家に帰る、というのと同意語だったから。
帰る場所を疑う人間など、どこにいる。
父がいて母がいて、ラクスがいて、軍があって、イザークやディアッカや隊長がいて、そうして自分がいる。
それは居場所だ。
自分が必要とされている場所。
自分が存在していても良い場所。
自分はいま、それを捨てようとしている。
帰る場所を、迷っている。

なぜ?

ザフトの戦い方に疑問を覚えたから。
戦争が終わらないと思ったから。

違う。
そらすことのないキラの瞳に耐えられず、うつむく。
違う。
この期に及んでもまだ大義名分を捨てられないのか。
確かにそれは真実だ。
このままザフトのもとで戦っても、この戦争はきっと終わらない。
戦火はますます勢いを増し、地球連合との戦いは激化の一途をたどるだろう。
運良くどちらかの戦力が勝り一時的な鎮火を見せても、再びその火種は燃え上がり新たな確執となっていく。
自分はそれを望まない。
それは真実だ。
しかしその思考を支えるものは何だ。
根底にあるものは何だ。

見慣れた整備風景。遙か遠くまで続く手すり。クサナギの中。落ちたバスタオル。漆黒の瞳。
自分がいまいる場所。

「キラ、」
「あっ!なんだおまえら、こんなところにいたのかよ!!」
突如がくんと身体が傾き、瞬間眼の端に金色がちらつく。
「ちょっと、話があるんだ。」
カガリが、アスランの肩をつかんでいた。
そのままひっぱり、キラに近づいていく。
キラは一瞬困惑した表情をうかべ、すぐにいつもの柔らかな笑顔に戻った。

自分はなにを言おうとしたのだろう。
キラ、と呼んだ、その後で。

キラは小さく、唇だけで呟く。
また今度。

自分は決められるだろうか。

アスランが戻る場所はどこ?
自分が戻る場所はどこだ?

また、今度。









2007/8/28

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