ふたりならば、時間さえも支配できると思っていた、あのころ。
わがまま
わがまま
眼差しに気付いて、声をかける。
「キラ、どうした?」
「あ…いや。なんでもないよ。」
取り繕うように答えるキラに、アスランは内心ため息をつきつつ微笑んだ。
キラはほっとしたように少し笑い、再びパソコンに向かう。
アスランも向き直り、しかし作業は中断したまま、隣で再び課題に取り組み始めた親友の横顔をそっと見つめる。
もうすぐ命日だからか。
アスランはキーボードに載せた指に視線を落とし、あれから2年経とうとしている今なお、色あせることのない記憶に思いを馳せる。
こんなにも鮮明だ。
彼の優しげな瞳が。ピアノをひくときの滑らかな指の動きが。隊長、と呼ぶ、幼い声が。
去年の命日、キラは彼の墓前で泣き叫び、失神した。あっというまの出来事だった。
イザークとディアッカと4人連れだち、各々が持ち寄った土産を手に、いっそ陽気と言っても良いくらいの賑やかさで彼が眠る地を訪れた。
ディアッカはくだらない冗談をとばし、イザークはいちいち生真面目につっこみ、キラは声をたてて笑っていた。
汗ばむくらいの初夏の日差しのなか、上着を脱いで肌をさらし、焼けた墓石に水をかけた。
空中にきらきら散る水滴と、眩しく白い地面にゆらゆら落ちる葉の影。
歓声が生まれては静かに消えていく、ひっそりとした眠りの地。
ごぉ、と地鳴りを伴う低い爆音が響き、4人は反射的に空を見上げた。
瞬く間にスカイグラスパーが3機、頭上に現れ消えていった。
地上に影を落とす間も惜しむように、一瞬の後。
あとにはなにも残らない。
すべてが静まり返った。
なにもかもが沈黙し、アスランは食い入るように墓石を見つめた。
静寂のなか、イザークも、ディアッカも、そうしてキラも。
それは、生きているということに対する絶対的な安堵と、そこから生まれる狂おしいほどの後悔がもたらした、その日初めての真実だった。
ほんとうのこと、は、日常のささいなほころびから露呈する。
隠しても、見ないふりをしても、それは、日常のささいなほころびから。
空気が震えている、と気付いたときには、キラはふらふらと膝をつき、何事かぶつぶつとつぶやきながら自らの肩を抱いていた。
「キラ…?」
肩をつかみゆすぶると、キラはいっそう眼を見開いて繰り返した。
「…なさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
指先が真っ白になるほどアスランの腕をきつくにぎりしめたキラは、ぼろぼろと涙をこぼした。
なにも映さない瞳。
嗚咽と呼吸のあいだに繰り返される謝罪。
アスランはキラの名を何度も叫びながら、上滑りする自分の声に驚いた。
何度呼んでも、彼には届かない。
そのことの恐ろしさに呆然とした。
自分とキラとのあいだには、まだこんなにも高い壁がある。
平和に馴れていくうちに、元通りになったと勘違いしていた。
とんだ思い上がりだ。
苦しみの上に日常をかぶせ、見ないふりをしていた。
穴だらけになった関係に、必死に継ぎをあてて修繕していただけだったのだ。
おさえてもおさえても止まらぬ傷口の血。
キラのなかに出来上がっていた無数のそれはじくじくと彼を苛み、今もふさがってはいないのだ。
アスランは彼の小さな頭を抱き、キラ、と何度もつぶやいた。
やがてくぐもったキラの声は徐々に力をなくし、その細い身体のすべてをアスランに預けて意識を手放した。
おまえが苦しむことなんかない。
今にも零れそうになる言葉を、幾度となく押し止め飲み込んで来た。
慰めの言葉をかけるのはたやすい。
−あれは戦争だった。
−おまえは精一杯闘った。
わかっている。
口に出したところでキラにはなんの救いにもならないということ、そうして、その台詞を吐くことで外ならぬ己自身が楽になるということも。
謝罪をしなければいけないのは自分だ。
眼鏡をはずして眉間に指を押し当てる。課題はとうの昔に終わってしまった。
「アスラン?」
呼ばれてはっとする。
キラが、肩の上でトリィを羽ばたかせながらこちらを伺っている。
身体の奥底に固い決意を潜ませているような、まっすぐで揺るぎ無い瞳だ。
その表情に、ふと記憶が蘇る。
子どものころ、遊んでいる最中にいたずら心をおこし、ひょいと物影に隠れたことがあった。
そのときの、アスランをさがすキラの顔。後を追おうと必死になる顔。
懸命に自分をさがすキラを盗み見て、かすかな優越感と確かな愛情を感じた。
あれほど確信をもって誰かから必要とされていると感じたのは初めてだった。
ずっと見ていたいと思った。
自分をさがすキラの顔。
置いていくことの、置いていかれることの、哀しさを知らないとはなんと幸福なことだろう。
理解してしまった今となってはじめて気づく。
もうあのころには戻れない。
そんな顔、するな。
俺は置いていかない。
ぜったいに。
ぜったいに。
「課題終わったのか?腹減ったなー。」
伸びをしながらあくびまじりに応じると、キラはぱっと笑って軽やかに立ち上がる。
慰めの言葉は言わない。いらない。
ふたりで積み重ねてきた事実、それを背負うことの特権を、だれにもゆずらない。
キラの中で治ることのないふさがらぬ傷を触ることができるのは、自分だけだ。
「今日はカガリがお弁当つくってくるって言ってたよ。デザートはラクス担当だって。」
「げっ、それはまたなんとも罰ゲーム的な…」
キラはくすくす笑いながら促すように腕をあげる。
「行こっか?」
その手を、とる。
迷いなく。
はなさない。
ぜったいに。
ぜったいに。
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