この瞬間が すべて









秒針の硬質な音が、不安になるほどの規則正しさで静寂を強める。
窓の無い部屋には月明かりなど望めるはずもなく、入り口の扉から漏れる細い光だけがくっきりと伸びている。
何度目になるのかわからない寝返りをうち、それでもなんとなく居心地が悪くて膝を抱く。
線のような光が時折、揺れる。
廊下を駆けていく影たちはどれも、焦ったように行きかう。
この緊張状態のなか、眠れるわけがなかった。
数時間後には膨大な数の敵のまえにさらすこの身を、少しでも休ませておかなければいけない。
わかっているのに、無意識のうちに再び寝がえりを打つ。
ベッドの軋む音が、ぎくりと身をすくませるほどの唐突さで響いた。
自分が発したものではない。
反対側の壁にそって置かれているベッドが、鈍い音をたてる。
「・・キラ、寝たか?」
まだ、と返事をして、起き上がった。
頭が重い。次いでアスランもスプリングを鳴らしながら起き上がる。
「ねむれないの?」
わかりきっていることを、聞いた。

時計の音は、鳴り止まない。

うるさい。
アスランの息遣いが、聞こえない。
起き上がったまま俯いている彼のかたちは、輪郭をこすったように闇にまぎれている。
最後になるかもしれない。
はだしのまま足をつき、光の境界線をまたぐ。
なんだ、けっこう、簡単じゃないか。
「キラ?」
ベッドの脇にたつと、アスランは驚いたようにこちらを見上げた。
しかしすぐになにかを察したように、小さく微笑んで僕の手をとる。
そのまま、つながったまま、そのまま。
アスランのつむじをこんなふうに見るのは、子どものとき以来だ。
立ち尽くしたまま、目を閉じる。

時計の音は、鳴り止まない。

「怖いか?」
驚いてまぶたを開くと、二人の間に隔たる闇を払うような瞳と交わる。
痛いほどの鋭い視線をよこしてくる。
見透かされそうだ。
俯くと、自分の手をつかみ軽く握っている彼の手が目に入った。
上着を脱いだだけの軍服姿で横になっていたのだろう、手袋をしたままだ。
せめてこれくらいはずせばいいのに。
思わず余計なおせっかいを焼きそうになったが、己の格好を思い出して苦笑した。
もっとも自分も、もしいま招集がかかればすぐに飛び出していけるほどの正式な軍服姿ではないか。

安息な眠りは、訪れない。
時計の音は、やまないのだから。

指先に力をこめる。
彼はこのすべらかな布に隠された手で、どれだけの命を奪ってきたのだろう。
どれだけの血を浴び、どれだけの冷たさを感じてきたのだろう。
僕のぬくもりは、伝わっているだろうか。
「俺は、怖いよ。」
静かなアスランの声音に、促されるように顔があがった。
目を伏せた彼の表情は優しく、しかしその頬は強張っている。
「アスラン?」
問うと彼は息をつめたようにのどをならし、苦しげに吐き出した。
「俺は怖い。明日どんな人間を殺すんだろうって考えると怖い。」
痛いほどの力が両手を支配する。
「その人間がこの世でいちばん最後に見るのは俺の顔なんだって思うと怖い。」
アスランは引きちぎるように無理やり自分の手をはずすと、顔を覆った。
うなだれた頭を、弱々しく振る。
「明日が俺の最期の日になるのかもしれないと思うと怖い。おまえに、」
ぐ、と詰まったように、黙り込んだ。
「・・・アスラン?」
そっと髪に触れる。小刻みに振れるその頭を、我慢できずに抱いた。
「・・・おまえに、もう二度と会えないんじゃないかと思うと、たまらなく怖い。」
腕に力をこめ、髪に頬をうずめる。
背中に腕が回される。
つなぎとめるように、つながる。

大丈夫なんだよ。
君は、死なない。

「もし、」
零れるように呟いた言葉は、情けなくかすれた。
抑えようとする理性など、アスランの肌に触れたあとではなんの役にもたたない。
流れ出る汚い感情を、とめることができない。
「もし、僕が死んでも、」
はっとしたように頭をあげようとするアスランを、腕にちからをこめて制した。
「アスランは、死なないで。」
「・・・キラ?」
「君が死んでも、僕は死なない。」
きっと後を追う。
すべてに片をつけた後か、もしくは彼が消えた直後か。 いまこの瞬間、明日が来るのが怖い。
死ぬのが怖い。
けれどもし、彼の温かさが奪われれば、自分は確実にこの身体を捨て去ってしまえる。
この矛盾はなんなのだろう。
死ぬのが怖いのに、死を選ぶなんて。
「君が死んでも、僕は死なない。だから君も、生きて。」

大丈夫なんだよ。
君は、死なない。
なぜなら僕が、守るのだから。

アスランがこの世から消えるなんて許せない。
僕のことを忘れ去ってしまうなんて許せない。
生きて、いつまでも憶えていて欲しい。
なにかを見て、なにかを聞いて、そのたびに、僕を。
この薄汚い狂気にまみれた願望を知ったら、アスランは、軽蔑するだろうか。
自分がいないあいだ、それでも自分を忘れずにいるアスランを、求めている。
いつまでも自分を欲しているアスランを、求めている。
それがたとえ、この身と引き換えでも。

「君は生きて。ぜったいに生きて。」
「・・・おまえも。」
「・・・うん、約束だね。」

この嘘を、どうか、忘れないで。









2007/12/15

back